一斗缶と棒、そしてジャバ

すでにジャバが普及しきった現代において、考えるべきはジャバ以降、つまりポストジャバではないか。

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

ジャバ言うだけの仕事は、AIにとって代わられる

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

あらゆるデバイスにジャバが動作している。それをどう乗り越えるか。

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

街中でジャバと言っても、誰も振り向いてくれない時代。それだけ、ジャバが当たり前になっているということだ。

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

文脈としてのジャバを超えて。

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

よく考えると、我々はまだジャバボタンを触ったことがない。

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

JDK CD100枚買っても、実物のジャバボタンを押せない

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

ポストジャバでは、ジャバボタンはなくなる

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

結論の一つが出ました

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

あらゆるデバイスにジャバが内蔵されている状態、ジャバが空気のような存在になった時代を考える。その様な時代、「ポストジャバ」では、我々はジャバを明示的にインストールする必要はない。 結果的に、ダウンロード装置としてのジャバボタンはなくなる。

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

ジャバボタンはどうなるのだ。ポストジャバでは、好事家が情報をやりとりするための「文脈」として機能を残すも、ダウンロード装置としての実態はなくなる。 実態のない実体だ。

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

一斗缶と棒、そしてジャバ

— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日

ジャバ名作劇場 に戻る