すでにジャバが普及しきった現代において、考えるべきはジャバ以降、つまりポストジャバではないか。
— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日
ジャバ言うだけの仕事は、AIにとって代わられる
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あらゆるデバイスにジャバが動作している。それをどう乗り越えるか。
— 一斗缶ビルダー (@toby_net) 2016年12月21日
街中でジャバと言っても、誰も振り向いてくれない時代。それだけ、ジャバが当たり前になっているということだ。
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文脈としてのジャバを超えて。
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よく考えると、我々はまだジャバボタンを触ったことがない。
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JDK CD100枚買っても、実物のジャバボタンを押せない
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ポストジャバでは、ジャバボタンはなくなる
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結論の一つが出ました
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あらゆるデバイスにジャバが内蔵されている状態、ジャバが空気のような存在になった時代を考える。その様な時代、「ポストジャバ」では、我々はジャバを明示的にインストールする必要はない。 結果的に、ダウンロード装置としてのジャバボタンはなくなる。
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ジャバボタンはどうなるのだ。ポストジャバでは、好事家が情報をやりとりするための「文脈」として機能を残すも、ダウンロード装置としての実態はなくなる。 実態のない実体だ。
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一斗缶と棒、そしてジャバ
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