ジャバを用いた非言語コミュニケーションの実際

親父が「ありがとうございます」という言葉を軽々しく使うなという。 日常的な感謝が軽くなるというのだ。 感謝の表現がその人にとって相対的なものであれば、一理ある。

— ギャバ (@toby_net) 2016年7月27日

ありがとうと言うな、感謝の重さ、なるほどである。 感謝の受け取り方は人によって異なり、いや、少なくとも父にとって重く感じられるならば、表現を変えてみるのもよいかもしれない。挨拶にしたって、「おはよう」「こんにちは」の他に、会釈もあれば、拳で交わす場合もあるだろう。

— ギャバ (@toby_net) 2016年7月27日

俺は、すかさず、両手の甲を親父に向けた。ピンと張った背筋のように、両手の中指を力強くたてた。非言語の他に、言語的な表現も必要と思い、軽く言葉を添えた。

— ギャバ (@toby_net) 2016年7月27日

「その場で試してみようと思った。」 今から考えれば愚かなことであった。 重要な人物でなく、小動物で試すのがよかったのだ。 そうすれば、今、こうして動けなくなっていることはなかった。

— ギャバ (@toby_net) 2016年7月27日

翌々日には、公園で一斗缶が発見されたニュースが報道されるだろう。紅く無料と描かれた一斗缶だ。

— ギャバ (@toby_net) 2016年7月27日

2016年頃からだろうか。親父はジャバだか何だかしらないが、妙なものに傾倒していた。一斗缶もその影響らしかった。 公園でのゲリラ的な個展。親父の個展を、俺は見ることができない。まさに今、その一斗缶の中にいるからためだ。

— ギャバ (@toby_net) 2016年7月27日

ジャバは禍(わざわい)の門。公開、先に立たず。昔の人はよく言ったものだ。 それにしても熱い。今年も、最高気温の時期が来たのかもしれない。

— ギャバ (@toby_net) 2016年7月27日

『ジャバを用いた非言語コミュニケーションの実際』より抜粋

— ギャバ (@toby_net) 2016年7月27日

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