検索で引っかかるもの(目に映るもの)みな、何か言いたくなる心理は理解できる。私も今、目の前に不当に毛布を選挙している猫を目のあたりにし、そして揉んでいる
— トビーネット (@toby_net) March 25, 2020
猫を揉むというのはどういうことか。揉まない。これにつきる。揉む心がまえではなく、言うならば、触ってほしいところを撫でる。そして最後まで揉まない。 まだ揉まれている余韻を残し、残心。
— トビーネット (@toby_net) March 25, 2020
揉むをおいてくる。猫はまだ揉まれていると錯覚する。否。 猫は最中も揉まれているとは思っていない。撫でられているのだ。さり気なく、なめらかに揉まない状態へと移行。
— トビーネット (@toby_net) March 25, 2020
あたかも「注射がいつの間にか終わっていた」「俺は一体いつ…?」といったような猫揉みである。
— トビーネット (@toby_net) March 25, 2020
ジャバボタンも、猫揉みの所作を取り入れてはどうだろうか。 ダウンロードしよう、インストールしようとし、ボタンに押されている。あくまで自分の意志で押したかのようでが、ジャバボタンは押され、喜ぶ。
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そしていつの間にかジャバのインストールは中断されている。ダウンロードを辞めるのもいい。時にはダウンロードするだけもよい。 ジャバボタンはダウンロードされたのだと錯覚する。
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ジャバボタンはあなたに押下されたのだ、ダウンロードの役に立ったのだ、という認識のまま、いつの間にか機能を果たしている感覚を得る。
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ジャバボタンをいかに触れるか、愛のある押下ができるか、あなたの愛とは何か。もちろんすべての愛とは言わないが、押下の際のほんの一瞬の、しかしこれからも続く関係における一時のもの。「押下愛」とでもいうべき感情をどのように押下そのもので表現するのか。
— トビーネット (@toby_net) March 25, 2020
ジャバボタンはただあなたの押下を待っているのではない。あなたがジャバボタンへの押下を伺っているのだ。
— トビーネット (@toby_net) March 25, 2020
『押下とは何か。猫を揉みて知りうる押下の心』より抜粋
— トビーネット (@toby_net) March 25, 2020