飯・猫・ジャバ

ある日、政治的に正しい画像を判別する機能が導入された。当初は好意的に受け取られた。しかし、人々の後悔は、飯画像が不正な画像と判定されはじめた頃だった。

— トビーネット (@toby_net) February 12, 2019

飯の投稿を生きがいにする者、飯を題材とした漫画を描く者は、発言力を失っていった。

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対象は広く、中立な立ち場をとる「監視者」(ネットウォッチャー)ですら、本現象の説明に一苦労であった。過学習の結果であろうか?

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ある者は、「手足を縛られてネットするようなものだ」とコメントした。また、「ネット呼吸ができない!」 とコメントする者もいた。「ジャバッ!ジャバッ!」とジャバボタンを押下する者まででる始末であった

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大騒ぎから2週間たった。人々は飯がない世界を受け入れていった。騒ぎは落ち着き、飯が消えた。最初から飯をシェアする文化などなかったかのようである。

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人々の興味は飯ではなくなった。「次に失われる表現は何か」といった議論は絶えない。

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次の標的は、猫動画であった。猫はトラフィックの増大をまねき、非生産的である。というのが言い分であった。

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実際、どれほどの猫が人間の通信資源を専有しているかなどの、根拠が示された。しかし、人々は納得するはずはない。

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「猫のない世界とは、ジャバの動かない計算機のようなものである」とジャバ仙人はコメント。

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「政治的正しさとは…」「実を言うと猫アレルギーでした」など白熱した議論の裏では、確かに猫を見かけなくなっていた。

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「飯」と「猫」なき世界に表れたのはジャバだった。

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次々にタイムラインへと浮かび上がるジャバボタン。紅い画像や動画は、世間を埋め尽くした。この頃、アプリケーションのテーマにと「紅」(クリムゾン)が導入されはじめる。

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ご想像どおり、ジャバボタンが世を席巻する時代は長く続かない。政治的正しさの仮想敵が切り替わるまでの寿命であった。

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ーー 数年後 ーー

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荒れたジャバ亡き世界が広がっていた。そこに一つの希望があった。そう、かつてのジャバ仙人である。

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ジャバ仙人は、政治的正しさに興味は無かった。問題は仙人の私的な趣味が「不正」と判断されたことであった。

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ジャバ仙人が先導を切って、政治厚生センターへと突入。戦いの火ぶたはきっておとされた。

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世界はパンドラの箱を2度までも開けることとなったのであった。

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『飯・猫・ジャバ』より抜粋

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