どこもかしこも、ジャバばかり
— 臨時工場勤務 (@toby_net) May 21, 2016
2038年、GitFuba のログインにバイオモニタ連携が導入された。 アクティビティを稼ぐには、消費カロリー、適切な睡眠時間をとらねばならない! 開発者といえども健康に気を配る時代が到来する。
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GitFuba の CEO が変わったのは 2037年だった。 一年前、フードを被ったその人間は、 ジャバ界隈では見かける風貌であった。
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激化したアクティビティ戦争(俗にいう「草をはやす」)。 その活動量は、自動化された就活においては決めてになる要素であった。
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活動量を増やすにはどうすればよいのか? 2020年には、機械的なコミットが強制退会の対象となっていた。 知恵をひねる開発者たち。 ときには、オカルティックな噂も流れ、自ら命を捧げるものまでいた。
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「ジャバ!」 フードの大号令。 GitFuba 自身を支えるスタッフたちは、一点を見つめ、ブツブツつぶやき始めた。 世界中に散らばっているにも関わらず、同時に同じ方向を向いていた。
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スタッフはゆっくりと腰を下ろすと、取りつかれたかのように、業務を始めたのだった。
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フードは、その「仮面」をかぶる前、元 GitFuba 社員であった。 本社勤務であったが、二十徹(*10)、のあと、社食で腹をこわし退社。 [*19] 二十営業日の徹夜
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自己責任の風潮に業を煮やしたフード。 当時、腹をこわした社員のみを集め、ヘルス関連のベンチャーを立ち上げたと言われる。
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GitFuba は変わり始めたのは、2037年の「独立記念日」であった。フードが「独立」した日である。
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最初、活動量に変化が現れたのは、ヘビーな開発者であった。日付変更線を超えてまで、コミットしていたデベロッパーは、カウントされない活動量表示により、異常行動を制限された。
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サービスの裏側では、「極端な開発速度が不健康」とみなされていたのだ。 もはや、「エクストリーム・プログラミング」は就活に寄与しない。
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いつから、「エクストリーム・プログラミング」の意味が変化したのだろうか。 、
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2018年、「シックスフォー」と名乗る集団が、新たな開発手法を発表。「ジャバ駆動開発」「ジャバイル・マニフェスト」。 「今度こそ、銀の弾丸に違いない」とジャバ界隈で持てはやされた。
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提唱された開発手法では、ひそかに「エクストリームプログラミング」の意味は、オーバーライドされていた。 名前空間を意識しない、多くの開発者たちの頭に、新たな定義が刷り込まれていったのだ。
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ジャバ界隈は、数十年に渡り開発用語の再定義を繰り返えしていた。ジャーゴンで上書きされた開発者の中には、一日を「ジャバジャバ」と言って過ごす者もいた。
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2038年のGitFuba 騒動では、ジャバの風潮に歯止めをかける意味合いもあったとされている。
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『ソフトウェア開発年表』 より
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